凸凹恋愛の20年の道のり

こんにちは
充実した恋愛を サポートする
山本大樹です

これからお話しするのは

「今 どんなに苦しくて虚しい気持ちの人も
必ず充実した人生を送ることができる
充実した恋愛をすることができる」



という話です。

私は今でこそ
彼女もでき、結婚もしました。


そして、子供でも生まれて、幸せな家庭を持ちました。
仕事でも、日々新しいチャレンジをして
恋愛を人に教えるようなことをしていますが・・・



ここまで来るのに、
私はとてもとても 遠回りをしてきました。



私は、小さい頃から人見知りが 激しい方でした。
それでも 小学校の4年生ぐらいまでは、
子供の無邪気さをがあり、
毎日遊んで、幸せな時間を過ごしていました。


そんな幸せな日々が、少しづつ 崩れ始めました。
周りの環境と私の心に、変化が起こっていきました


きっかけは、複数あり、
どれか一つが原因というわけではありません。
たぶん複合的なものだったの だと思います。


下り坂へのきっかけ①

一つは、 小学校6年生で 塾に行き始めたことです。
別に塾に行くぐらい、普通のことです。
何が変わるだけではないでしょう。

ただ、私の中で価値観として

  • 成績が良いければ、 いい人・生になる
  • 頭がいいことが、人として優れている
という
変な価値観が、うっすら身に着きました。

この価値観の変なところは

・成績が悪いと、 ひどい人生になる
・頭が悪いことが、人として劣っている

が背景に潜んでいることです。

下り坂へのきっかけ②

もうひとつのきっかけは、
中高一貫の男子校に入ったことです。


周りが男子ばかりのため、
女子と話す機会がまったく
なくなってしましました




日常会話のチャンスさえ、
なくなってしまったのが、
痛かったと思います。



残念なことに
男子校の6年間で
人見知りの私は
全く女性と話せなくなってしまいました




今思うと笑い話ですが、

その6年間で、
同年代の女性と話したのは
結果的に、一回だけ
です。



それも、高校生の時に、地元の駅で、
たまたま小学生の同級生だったお
女子に会ってあいさつした
だけです。。。




そのあいさつも
「あ、あ、・・・」みたいな感じで、
言葉さえ出ませんでした(;^ω^)



高2高3で塾に行きました。
一応周りに 女子はいたのですが、
私は全く話しませんでした。



というより
話せませんでした。


補足
男子校だからといって
みんなこうなるわけではありません。

活発な男子は普通に 他校の文化祭
に行ってました。

楽しく女性と話してましたし、
彼女作ったり した人もいます。

私が偏ってたっていうことなんで、
男子校が悪いというわけでは、全然ありません。

 

下り坂へのきっかけ③

もうひとつのきっかけは
部活で少し孤立だったことですね。


「なんかあんまり話さない方がかっこいい」
みたいな勘違いをして、
自分から壁を作ってしまってました



とってももったいなかったですね。

下り坂へのきっかけ④

勉強の競争になじんでしまったことも
原因でした。


成績は少しよかったのです。

ただ、勉強自体が楽しいというより、
いい成績をとるのが楽しい

という動機でした。

今思うと、
結果だけを求めていました。
プロセスを楽しめてませんでした。


成績が良いと嬉しいけど、
成績が悪いとへこむ。


ちょっと本末転倒な状態でした。

なぜ勉強するのか?

じっくり考えて、話し合って、
人生観、価値観をつくっていけば
よかったのです。

成績がよければいいのだ
と思ってました。

一番やってはいけないこと

彼女ができて楽しそうな人たち
女の子と遊んでる人達をを見ながら、


本当に一番やってはいけないこと、
をやってしまいました。


うらやましい、すねの世界に入りました。

そして、

「成績が良いことが 優れてるんだ」

と考えて、
羨ましいという気持ちを、
押さえつけていました。



もちろん、
「彼女欲しいとか、女性と話すの楽しいな」という
自分の欲自体も押さえつけてました。

うつっぽくなる・・・

そんな6年間を過ごしながら

ただ普通に性格も悪くなってしまって
女生徒だけでなく
学校の友達とも 少しうまくいかなかったりしました



正確に言うと
部活では私が心を閉ざしてしまい
孤立するような形で した


クラスでも
だんだん 話が合わなくなってく
と言う
感じはありました



皆、思春期で
少しずつ成長していく時期でしたが


私はその時に
心の成長というものが、
あまりできなかったように思います。



勉強には力を注いたんですけどね。

それでも、子供の元気さの残りのエネルギーで
高2ぐらいまでは
明るい ときもありました。

初めてのうつっぽい瞬間

高校一年生のころに、
一瞬、なんかうつっぽいような
感覚
になりました。
そのときの感じは、よく覚えてます。




正月に実家に親戚一同が集まったときです。

いとこも10人ぐらいいて
トランプとか
UNOとかで遊んでるんですね。




その高1の正月の時は、
リビングに入って、みんなが楽しそうに、
トランプをしているの を見て


初めての虚しい感覚
何か
遠いような
悲しいような
寂しいような
現実感がない感覚

が出て

そのまま リビングに入らず、
一人戻り別の部屋で、
一人で時間を過ごしました。



私の中の子供の無邪気さが、
鬱の変なエネルギーで、
初めて一点で突破
されてしまった
瞬間だと 思います。




ただ、その頃から
そういう感覚は
だんだん増えていったように思います。

感情が枯れる

そうやって ちょっとずつ下がりながら

どんどん現実感がなくなってく
心が動かなくなる
無感情になる



とても虚しい状態になる

方向へ 落ちていきました

高1高2ぐらいまでは
まだ6~7割はエネルギーが残っていて
ある程度は勉強に集中していました



ただ高3になると
勉強してもほとんど新しいことは
身に付きませんでしたね



高校3年の初めのころは、
半々の状態でした。

塾のつらい思い出

高校3年生の時に、
大手進学塾に通った経験もつらかったです。


東大受験クラスの数学クラスに、
なぜか ギリギリ入れちゃったんですね。


ただ私にはちょっと難しすぎたんです。

入塾早々、全く追いつけなくなって、
しまいました。
だんだん休みがちになりました。



たまに出席しては 0 点を とって、
悲しい気持ちで
下を向いてとぼとぼと帰る日々
でした


この頃から0点学生生活が、
始まった感じがしますね。

大学はなぜか受かってしまう

ところが、大学受験になると、
不思議なことに
たまたま 解いたことのある問題が
出題されたんです。

当時はラッキーと思いました。

でも、今思うと入学してからが大変でした

だって・・・

学力も足りない
気力もない
思考も止まりかけている

そんな状態で、
難しい大学に入ってしまうのですから・・・

一年目はまだ 気力があったので、
なんとか単位もとっていきました。


ただ、進級には、少し足りなくて
留年してしまいました


2年目からは、
エネルギーがさっぱり
なくなってしまいました。

  • 授業に出ても全く分からず
  • 実験の授業は人が怖くて出れず
  • テストを受ければ、0点の山

こんな日々を過ごしてました。

そんな感じで
鬱々としながら
大学で過ごしてきました




今一番へこんだのは、
2年目の19歳の時でしたね。


それまでのエネルギー貯金が
全部切れてすっからかんでした。


そこから、いったん休んで
少しずつ良くなっていきました。


でも、回復したというレベルでは
ありません。


ただ、少しだけ 上を向いて、
過ごしていました。


まあなんとか

8年目で崖っぷちのギリギリで
なんとか必須科目を取って、卒業
できました。


半ばお情け的な、
単位が多かったです。


だから、大学で勉強した内容を説明してとわれても、
と聞かれても、
具体的な内容は全く答えられません。。。

就職へ

そして大学を卒業して、
システム開発 の会社に就職しました。


ちなみに、就職活動は、
面談で話し下手がばれて、
落ちまくっていました



内定いただいた会社も、
なんとか拾ってもらったような感じですね。


滑り込みで入社したはいいけども、
人間関係は全然ダメでしたね。


幸いプログラム自体は
なんとかできました。


でも、システムエンジニアは
人と話す仕事
なのです。


その点でも苦労しっぱなしでした。

彼女づくりの地道な努力

 

合コンの失敗

合コンがあれば行き、頑張ってデートに誘いました。

初めての合コンでは、
恥しくて何も話せず



乾杯して、名前と仕事を話して、
無言で飲んで
一人で横になってましたからね(笑)



そんなダメダメ合コンを
何回も繰り返して、少しづつ成長して、
なんとかメールアドレス交換しました。

そして、ついにデートに誘うまでになりました。

デートの失敗

ところが、
デートで一対一になると、
なにもできないわけです。



話したのは、最初の挨拶だけ。
残りは無言デートです。


沈黙がずっと流れていて、
話さなきゃと思いながら、
なにも話せない。



相手の女性もつらかったと思います。
本当申し訳ないです。。。


もちろん全く続かず
一回で終わりというパターンを繰り返しました。

そのうち、少しは喋るようになって、
ようやく付き合ってみよう

となるのですが。。。

お付き合いでの失敗



しばらく付き合って
喧嘩をして別れる

そんなことを2~3回しました



そんな繰り返しばかりで、
相変わらずのダメダメでした。


これは根本的に何かを変える必要があるんだな。
と思い始めました。

セミナーで学ぶ

根本的に変えるために、
いろいろなセミナーで学ぶ
ようになりました。



もともと勉強は好きだったので、
学ぶことには抵抗がありませんでした。


だから、小さいころから、
本はたくさんよんでました


どん底から、なんとか就職までできたのも、
本のおかげでもあります。


趣味の本を含めて、
2000冊は購入していると思います。


ただ、本だけでは限度があったのだと
思います。


私の場合は、
つらい状態から脱するには、
人と接する必要がありました。



そこで、何とか しようと
セミナーにも行きはじめました。

セミナー
  • 潜在意識を活用するセミナー
  • SEのためのマインド醸成実践型セミナー
  • 自己啓発セミナー
  • 気功セミナー
  • 心のセミナー

これも毎年、月に平均2回は通いました。
約10年間続けてます。


その瞬間は明るいんです
その部分は軽いんです


でもどこかに、
虚しい何かが、
残って
いて


いつも、
影がある感じでした

奇跡のセミナー

そんな時に
喜べるようになるセミナーがある


と聞き

試しに参加してみました

最初の頃はよくわからず、
でも「喜べるようになりたい」
と思い参加してました。



本もたくさん読みました

  • 心理学
  • 哲学思想
  • 自己啓発
  • モテ本
  • スピリチュアル
  • 社会科学
  • 小説

スピリチュアルなセミナーにも行ってみました
心理セミナーにも行ってみた
うつの人向けの薬も飲んでみました




それでも、
心は 深いところで 晴れない。
そんな感じがありました。



そんな時にあるセミナーで、
行動できうようになる心理学を学びました。


という触れ込みだったのですが。
これがすごいセミナーでした。


そこで初めて、
あーまだまだだったんだ。
と気づきました。



その講座を受講するまではそれまでは、
虚しい状態だという認識自体がなかったです。


つらいなー、かきついなあとも思いながらも
ま、私の人生はこんなもんだろう
みたいな感じで思っていました



非常に小さい感じの世界観でした

それがその講座を受講したところ

闇が晴れる

一言で言うと

こころの闇が晴れました
朝日が昇る感じです


そしてこころの闇の正体が
なんだかも分かりました



一言で言うと

いい人生を求めてはいけない、ということです。

え、「いい人生」の何が悪いの?

と思うかもしれませんね。
でも、「いい人生」「いい○○」は不幸を産むのです。


直観的に、一番わかりやすいのは

「 あの人は、 いい人なんだけどね・・・」

という言葉ですね

これは、全然ほめてませんよね。

いい人、止まり
いい人生、止まり


なにか大事なものが足りないと、いうことです。

「いい」って、どっかで止まってるんですよ。
上限があるのです。



本当の幸せ、
本当の喜びには、


「いい人生」では到達できないのです。

「いいの壁」、「いいの天井」
がある感じです。


セミナーを受講して、
その「いいの天井」が


ポーン!!!と 壊れた感じです

私のミッション

これらの経験を通じて、
私は自分のミッションを決めました。


  • 充実した人生を提供する
  • 充実した恋愛を提供する
  • 充実した家庭を提供する
  • 充実した婚活を提供する
日本で
世界で

そのための

世界観
人間観
マインド
方法
を提供する

理想の世界

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充実恋愛サポーター 山本大樹